「アキサミヨー」うなされ続けた老母逝き15年

  長い長い梅雨空でした。慰霊祭の日は今年も雨でした。犠牲になった方々の涙が雨になりました。遺族の涙もまた墓石を濡らしていました。

 私の母は97才まで生きました。南洋諸島での激しい戦争を経験したそうです。沖縄戦も住民が犠牲になりましたが、母の戦争体験もまた、過酷極まりなかったと聞きました。

戦争が終わって何年経ってまでも、母の心からイクサの苦しみは消えませんでした。突如として母の悪夢は現れて母を鬼女に変えてしまうのです。

 「アキサミヨーナー」悪夢の中で母は唸り声を発し周りを凍りつかせました。家族が川の字になって寝ていた幼い頃の話です。寝静まった夜のしじまを蹴破るような「アキサミヨーナー」地獄の底から響くうめき声と白目で髪振り乱す鬼女の声に怯えた日々。

 そんなとき姉がいつも母の身体を揺すり、境界線を彷徨う母を悪夢から現実に連れ戻すのでした。姉が大学生になり家を出た後はその役割は、わたしにまわってきました。

 夢から覚めた母は「イクサ(戦争)のイミ(夢)ンチョータン(見ていた)」と、顔をゆがめてぐったりしていました。

 戦後何十年経っても、それは続きました。母が亡くなって15年経ちましたが、その声は耳から離れてはくれません。母の悲惨な戦争体験が私の体験になっています。

 長い思い出話しになってしまいました。ごめんなさい。

 さて、緊急事態に入って、しばらく経過しているにも拘らず、コロナの感染者は減らず、7月1日現在60人を上回る状況です。不要不急感の外出を避けて、人々は慎ましく暮らしているのに、感染者は減りません。真面目に暮らしの制約を守っている人にとっては、この社会の現実は腑に落ちないことだらけです。

 そんな中で先日、静かな暮らしが身について、困り感も無くなった。ゆったりと穏やかに楽しいことを見つけて暮らす習慣ができた。など、プラス思考で明るく前向きな人に出会いました。

 愚痴っぽくなりがちだった自分に、ひまわりの花を頂いたほど力強い言葉でした。

 日々うまくいかないことだらけ、時には愚痴っても良し、嘆いてもオッケー、でも一日のどこかでは笑っていたい。ウオーキング中、葉っぱの多くは丸いことに気がつき、それに私は癒されていることにやっと気づき、、雨が降っていた空に虹を見て、また感動し、空ばかり見て歩き、転びそうになり、苦笑い。日常の小さなことに大きな喜びを・・・。

 横に並んで一緒に笑いましょうか・・いつでも、誰でも待ってます。 石川